熊本大学薬学部大学院博士課程修了後、基礎研究の道に進んだ米良マネジャー。その後、アステラス製薬にて新薬の研究開発を行うかたわら、働きながらMBAを取得した。外資系製薬企業やコンサルティングファームを経て、株式会社ビジネス・ブレークスルーに転職。現職では、BOND-BBT MBAプログラム事業統括マネジャーとして、生涯を通し学び付加価値を身につける「リカレント教育」に携わっている。薬剤師の大多数が薬局や製薬企業でキャリアを積むなか、米良マネジャーの歩みは異色ともいえる。その軌跡は、進路に悩む若者の背中を、力強く押してくれるだろう。
新薬の研究開発と並行して、MBAを取得。外資系製薬企業やコンサルティングファームでキャリアを積み、株式会社ビジネス・ブレークスルーのBOND-BBT MBAプログラム事業統括マネジャーとして活躍する米良マネジャー。薬剤師の一般的なキャリアとは大きく異なる道のりを歩んできた。大胆なチャレンジができる理由は、31歳で経験したアステラス製薬時代のあるできごとにあった。
私のキャリア最大の転機は、アステラス製薬時代にオランダでのフェーズ1試験の立ち上げを行ったことです。
私は当時、化合物の毒性や体内での働きといったものを動物実験や細胞レベルで調べて、人間に対する臨床試験ができるかを評価する仕事をしていました。31歳の時に、自分たちで試していた化合物が良さそうだと言うことで、治験薬を初めて人に使用するフェーズ1に上げて試してみようという話になり、オランダで臨床サイトの立ち上げを任されました。
オランダに行き現地のスタッフと一緒に、データの測定方法やサンプルの取り扱い方法などをひとつひとつ決めて立ち上げたのが、非常に大きな経験だったと思います。
全く人の関わらない領域である非臨床と人の関わる領域である臨床を繋ぐ、日本とオランダを繋ぐという2つの側面での越境経験ができました。今振り返ると「若い自分によく任せてくれたな」という感じです。
任せてもらえたのは、幸運と最低限の実力があったから。私が担当していた化合物が臨床入りできることになったという点は幸運だったのですが、担当者変更にならなかったのは、私がそれなりにサイエンスの知識があって英語もできるという最低限の実力を持っていたからだと思います。
この立ち上げの経験が自信に繋がり、経験値になってスキルも上がりました。何より新しい挑戦をするのにあまり恐怖を感じなくなり、その後のキャリアに大きく影響しています。
当時はすごく不安だったのですが、やってみたらサイエンスのロジックと英語が使えれば、充分通用すると分かって、非常に大きな学びになりました。今では新しいことをするときに不安があっても、あそこまで震え上がることはなくなりましたね。
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