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人生は思い通りにいかないが、一生懸命なら夢の方から寄ってくる
人生は思い通りにいかないが、一生懸命なら夢の方から寄ってくる

人生は思い通りにいかないが、一生懸命なら夢の方から寄ってくる

独立行政法人 国立病院機構 奈良医療センター 院長平林 秀裕

独立行政法人 国立病院機構 奈良医療センター
院長
平林 秀裕

テレビのドキュメンタリー番組がきっかけで、脳神経外科医を志した平林院長。奈良医療センターの院長として地域医療を支えつつ、日本定位・機能神経外科学会理事長としても活躍している。脳卒中の外科学会賞(鈴木次郎賞)を受賞するなど、輝かしい経歴を持つ平林院長だが、実はそのキャリアは平坦なものではない。平林院長の歩みからは、思い通りにいかなくても諦めない姿勢の大切さが伝わってくる。


平林院長が医師に興味を持った背景には、病気がちだった幼少期にお世話になった小児科医の存在があった。医師のなかでも脳神経外科医を目指したきっかけは、小学6年生から中学1年生頃にテレビで観た脳神経外科がテーマのドキュメンタリー番組だったという。

 

私の幼少期は非常に病気がちで、何回か命が危なかったことがあります。幸い回復しましたが、小児麻痺にもなりました。そんな私を救ってくれたのが、近所の小児科の先生です。高熱が治まらず、先生がカナダのトロント大学から薬を取り寄せてくれたこともあります。当時の日本ではあまり手には入らない薬のおかげで、無事に回復しました。そういった背景から、子どもながら「医師になりたい」と思っていましたね。

脳神経外科医を志したのは、小学6年生か中学1年生くらいの時に観たテレビ番組です。脳外科を取り扱ったドキュメンタリー番組で、脳神経外科の手術が取り上げられていて「自分もやってみたいな」と思い、医学部への進学を考え始めました。

その後、地元の奈良県立医科大学に進学し、入学当初から脳神経外科を希望していました。ですが、当時は脳神経外科が少なく、奈良県立医科大学にも脳神経外科はありません。そこで、横隔膜より上の部位を担当する第二外科に進みました。

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