九州大学医学部を卒業後、第二外科で臨床修練を積み、大学院で研究していた腫瘍免疫をさらに極めるためにハーバード大学ブリガムアンドウーメンズ病院に留学。その後、呼吸器外科を専門としキャリアを積んできた吉野病院長。2007年に日本の呼吸器外科をリードする千葉大学の教授に就任し、ロボット手術、臨床試験、肺移植などに精力的に取り組んだ。2023年に、国際医療福祉大学成田病院の病院長・教授に就任。肺がんなどの呼吸器外科領域で、診療・教育に取り組んでいる。吉野病院長にこれまでのキャリアや、国際医療福祉大学成田病院の展望、若い医療人へのメッセージなどを伺った。
肺がんをはじめとする呼吸器を専門に、医師としてのキャリアを積んできた吉野病院長。一番の成功体験は肺移植医療の実現、感動したことは肺がんが免疫療法で消えたのを目の当たりにしたことだという。吉野病院長のキャリアの歩みを振り返る。
医師になったきっかけは、子どもの頃から国際的な仕事だと聞かされていたことが大きな要因です。遠縁の医師が戦争中に捕虜になって行方不明になっていました。海外で医師として重用され、何十年ぶりに帰ってきました。その時に「医者は世界中の人に頼りにされる人類共通の仕事で、やりがいがあるよ」と両親から言われたのを覚えています。
九州大学医学部を卒業した後に入局した九州大学第二外科は、臨床も研究も取り組む環境で外科修練ののちに、大学院生として「腫瘍免疫」の研究をしていました。当時の腫瘍免疫分野はまだ基礎研究段階でしかなく、海外で先端的な研究をしたいと思い、10ヶ所の病院に手紙を書き、アメリカのハーバード大学ブリガムアンドウーメンズ病院に外科研究員として留学することができました。その際に実際に免疫療法によって難病の悪性黒色腫が治癒した患者を目の当たりにしました。
帰国後は、呼吸器外科を専門として九州がんセンター、産業医科大学勤務を経て、九州大学病院第二外科(消化器・総合外科)のスタッフとして勤務し、呼吸器外科のチーフを任されました。
キャリアにおける成功体験の一つは、千葉大学病院での肺移植です。千葉大学の呼吸器外科は、肺がん研究施設として日本の呼吸器外科の黎明期に誕生した、歴史ある組織です。
呼吸器外科の教授に就任してから準備を重ね、7年目にして肺移植を実施できました。肺移植は、国から委託された委員会の認定を受けて初めて実施できるので、認定を得るための環境整備に時間がかかったのです。移植医療というのは、優秀な医師が1人いてもできません。呼吸器外科のチーム全体が豊富な経験を持ち、成熟していることが求められます。そのため、医師たちを国内外の留学に送り出したり、私自身も見聞を広めたりして、チームのレベルを高めていきました。また、病院全体の総合力を問われる医療なので、呼吸器外科だけではなく、心臓血管外科・麻酔科・呼吸器内科・集中治療室・リハビリ・薬剤部・手術室看護師・病棟看護師など、移植に携わるすべての職種でチームをつくりました。移植そのものよりも、それまでの準備が大変でしたね。
また医師人生で感慨深かったこととして、免疫療法が実際に肺がんを治癒させるのに立ち会えたことです。かつて肺がんは、診断が難しく転移しやすいため、生存率が非常に低いのが実情でした。発熱、体重減少が著明な40代の肺がん患者さんが、従来の化学療法には耐えられない状態だったので、保険承認されたばかりのPD-L1阻害剤を投与したところ、著明に病変が縮小し、外科切除した結果、病理所見で完全に腫瘍が死滅していたのを経験しました。私が若い頃研究していた肺がんに対する免疫が実際に働いているのを見ることができて、大変感慨深く思いました。私が医師になった1980年代は、肺がん患者のうち手術ができる人は2~3割で、手術しても5年生存率は40%に過ぎませんでした。しかし、CTによって早期発見ができるようになり、外科成績が飛躍的に向上しました。また最近では手術が難しいで患者さんや術後に再発してしまった患者さんでも、免疫療法や分子標的療法などで長期生存や治癒が可能になってきたのです。肺がんの専門家として、これからもさらに多くの患者さんを救えたらと考えています。
2023年に国際医療福祉大学成田病院の病院長・教授に就任し、教育研究体制の整備を推進する吉野病院長。アジアそして世界に通用する教育病院であると同時に、足元の地域医療に貢献する病院を目指しているという。現在のビジョンや取り組み、理想の医師のあり方について伺った。
国際医療福祉大学成田病院は、成田地区で最も新しい医学部である国際医療福祉大学医学部の、臨床研修を担う教育病院です。病院長・教授として、病院としての診療機能はもちろん教育研究体制の整備にも取り組んでいます。
国際的な病院、というのがこの病院の特徴で、まずはアジアの医療教育の中心的役割を担うことを目指しています。医学生にはアジアからの留学生も多く、アジアからの研修生や見学者も多く来院されます。私たちのように世界を視野に入れた戦略を取っているところはあまりないでしょう。
また医学部本院として、高度な医療の提供や医療技術の開発に必要な能力を持つ「特定機能病院」などのステータスを獲得していく予定です。またそれと同じくらい重要なのは地域医療への貢献だと思っています。病院がある千葉県自体が人口あたりの医師数と病院数が全国平均よりも低く、リソースが少ないため、地域の拠点病院としての役割も重要ですので、行政や医師会とのコミュニケーションを大切にしています。
座右の銘は「幸せは見出すもの」という吉野病院長。医師としてのキャリアでも、自ら幸せを見出すことが大切だと話します。
私の座右の銘は「幸せは見出すもの」です。自分から探して幸せを見つけ出すことが大切だと考えています。
自分のキャリアを築いてきた中で、このフレーズに助けられました。医療や医学の進歩は早く、良い医療を提供するためには日々の自己研鑽は必要です。そのプロセスは休日や夜中に専門書や手術書を読んだり、文献を探したりする地味な作業で、決して楽ではありません。それでも昨日救えなかった患者さん、目の前の患者さん、明日会うことになる患者さんのために、情熱と意欲を持って取り組むことに「やりがい」「幸せ」が見出せるうちは、頑張れるものです。上司から言われてイヤイヤながら取り組んでもそのようなものは「見出せないでしょう。日々の仕事の中に“ささやかな楽しみを見出す”ことができれば、幸せなことだと思いませんか?
音楽が昔から好きな吉野病院長は、コロナ禍がきっかけでクラシックギターを始めたという。難易度の高い演奏を練習することが、刺激になっていると話す。
プライベートでは、クラシックギターを練習することが多いです。『アルハンブラの思い出』という曲を練習しているのですが、1つの音や複数の音を素早く繰り返すトレモロ奏法が難しくて。でも最初は、すぐに疲れてしまったり全然音がしなかったりしていたのですが、何とか最後まで弾けるようになりました。人に聞かせられるレベルではないけれど、上達していく過程が楽しいです。
年齢を重ねると、頭も目も指も衰えるのでそういった意味でも良い趣味だと思います。脳科学的にも、譜面を見て指を動かして耳で感じるのは老化対策に非常に良いらしいです。もともと音楽が好きだったのですが、本当に始めて良かったですね。
吉野教授からの若者たちへのメッセージは「ベストを尽くす」。自分の理想をいつも少し高く(背伸びして)持って、それに一歩でも近づくようにすることで、成長につながると言います。働き方改革や人材不足など、医師を取り巻く環境が変わるなか、どのような姿勢が求められるのか伺った。
若い方々に伝えたいのが、「今いる職場や環境でいつも自分のベストを尽くす」ということです。ベストを尽くすことで、自分も伸びるし、その取り組む姿勢から周りから必要とされるようになります。自分に対する期待が高まり、それに応えることで自信にもつながります。何かを頼まれたらなるべく断らずに応えようとする姿勢が、自分をつくっていくのです。
医師の世界でも働き方改革が進んでいます。確かにワークライフバランスも大切ですが、「自己研鑽をやらされている」と感じるのであれば、医師の道は辛いだけかもしれません。そこに先ほどの“幸せを見出す”サイクルが生まれれば、充実した医師ライフになるのだろうと思います。
医療を発展・定着させ、世の中に届けるという医師への期待にいかに応えるのか。医師不足などによる時間的な制約があるなかで、ベストを尽くし、やりがいを見出しながら働いていきたいですね。私もまだまだ成長できると信じて頑張っていこうかと思っています。
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