世界に先駆け、脊椎鏡視下手術における後方と前方の複合アプローチを考案。脊椎外科をリードしてきた紺野教授。そのキャリアは、素晴らしい師をはじめとする人々との出会い、そして患者さんを思う真摯な姿勢によってつくられてきた。
キャリアにおける成功について伺ったところ、脊椎鏡視下手術における後方と前方の複合アプローチを世界に先駆けて開発し、世界的に高い評価を得たことをあげていただいた。紺野教授が脊椎外科の最前線をリードしている背景には、師との出会いがあったという。これまでのキャリアについて振り返っていただいた。
キャリアにおける大きな成功体験は、脊椎鏡視下手術における後方と前方の複合アプローチを考案し、学会に発表して論文になり、世界的に認められたことです。成功の一番の要因は、人との出会い。特に素晴らしい師との出会いだと思っています。
そもそも整形外科の道を選んだのも、先輩医師の影響です。私は自治医科大学出身なのですが、卒業後は全員、出身の県に戻って地域医療に貢献する義務があります。そのため、当時は診療科を選ぶ際に、先輩とも相談して決める習慣がありました。私は福島県出身で、先輩たちは、内科か外科を選択していたのですが、福島には関節痛や腰痛を訴えるお年寄りが多いため、そろそろ整形外科医が欲しいという話が出ていました。「君は整形外科医に向いているよ」とアドバイスをもらい、深く考えずに整形外科に進んだのが正直なところです。
当時から、誤診などをせずに、しっかりと患者さんを治療できる医者になりたいと思っていました。ですので、患者さんから感謝されれば、科にこだわりはなかったんです。先輩たちの話を聞き、整形外科医になることで役割を果たしたいと思いました。
整形外科のなかでも、特に腰痛、脊椎を専門としたのも、人との出会いがきっかけです。医者になって2年目のときに、ある先生に勧められてトップクラスの脊椎外医である菊地臣一先生の診療を見学しに行きました。そのときに「来年、県立南会津病院に赴任するから一緒にやらないか」と誘われたんです。
非常に有名で実績も豊富な先生に、直々に教えてもらえるチャンスだと思い、喜んで南会津病院に移りました。最初は1日5名くらいしか患者さんが来なかったのですが、世界でトップクラスの手術をする先生がいるという噂が広まって、あっという間に患者さんが1日200人くらい来るようになりましたね。
外傷と関節は私が担当して、脊椎の手術は菊地先生が全て行い、私が助手をするという分担でした。しかし、菊地先生の臨床研究の手伝いをするうちに、脊椎外科の研究テーマを与えられて研究するようになります。8年目くらいから脊椎の手術もするようになり、脊椎外科を専門にすることになりました。菊地先生のもとで技術を深め、研究をしてきたことが、新しい術式の開発につながったのだと思います。
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