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最大の名誉は決して倒れないことではない倒れるたびに起き上がることである
最大の名誉は決して倒れないことではない倒れるたびに起き上がることである

最大の名誉は決して倒れないことではない
倒れるたびに起き上がることである

公益社団法人 東京都理学療法士協会 会長森島 健

公益社団法人 東京都理学療法士協会
会長
森島 健

40年ほど前、まだ「理学療法」という言葉をほとんど誰も知らなかった時代に、理学療法士の道を選んだ森島学校長。その後、約9年にわたり理学療法士として現場で活躍し、学校で後進の育成に注力。現在は東京衛生学園専門学校の学校長・法人理事を務める傍ら、公益社団法人東京都理学療法士協会会長も兼務している。その歩みは、理学療法士という職業の発展そのものだ。社会人になってからも大学や大学院で学んだり、教育の道に進んだりと自らを磨き、道を切り開いてきた森島学校長の言葉は、若者たちがキャリアを考えるうえで、非常に参考となるはずだ。


高校卒業後の進路を選ぶにあたり、「何か人と違うことをしたいな」と漠然と考えていた森島学校長。お父様の親友である車椅子を製造する会社の社長のもとへ遊びに行っているうちに、理学療法士という職業があることを知り、理学療法士養成校への進学を決意。その後、理学療法士の免許を取得し、病院で働きながら大学で社会学を学んだ。その道のりからは、「岐路に立った時は、悩むならまずやってみようと心がけている」という言葉通り、チャレンジ精神にあふれた姿が伺える。

 

障害のある方を支援したいという思いで理学療法士という職業を選びました。そのきっかけは高校の時。僕の通っていた高校は、9割以上が大学に進学するのですが、「普通に大学へ進学して通うのはつまらない。何か人と違うことをしたい」と思っていたんです。

父の親友で車椅子を作っている会社の社長さんがいて、そこに遊びに行っているうちに、理学療法士という職業があることを知りました。話を聞いて興味がわいたので、高校三年生の夏に受験してみようと決めました。

当時は「理学療法」なんて言葉は、ほとんど誰も知りませんでした。学校の先生に言っても「理学療法士って何?」といった感じで、説明をしないとよく分かってもらえませんでしたね。でもそれが逆にモチベーションというか、人と違うことをしていることに若干喜びを感じていたというか。きっと、全く新しい分野を切り開いていくわくわく感のようなものがあったのだと思います。

専門学校で理学療法士の免許を取得して、新卒で病院に入職して9年間そこで勤めました。その間に大学の二部に入学して、仕事をしながら4年間学んで卒業しました。僕は、高校の時に専門学校への進学を選んだので、最高学府と言われている大学がどのような教育をしているのか興味があったんです。そのころ、理学療法士の世界でも、短大や四大で学ぶ選択肢が出てきていたので、今後のキャリアを考えても無駄にならないと思いました。

大学では専門学校での勉強よりも真面目に学んだ気がします(笑)。その後も大学院で勉強したり、介護支援専門員の資格を取得したり、自分にいろいろ課して学ぶようにしていますね。僕は研究者みたいに毎日暇があったら本を開くとかそういうタイプではないので、自分でハードルを課さないと勉強できないのです。

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