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生涯初心
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富山市立富山市民病院 腎臓内科病棟 副看護師長松木 理浩

富山市立富山市民病院
腎臓内科病棟 副看護師長
松木 理浩

当時はまだ珍しかった男性看護師として、キャリアを積んできた松木副看護師長。透析室の看護に20年以上も携わり、患者とじっくり向き合ってきた。透析看護認定看護師の資格を取得するなど、意欲的に学び続けている。現在は臨床で活躍するかたわら、日本腎不全看護会の理事長としても活動。松木副看護師長に、これまでのキャリアを振り返っていただいた。


(院内での腎臓病教室の看護外来での集団指導)

キャリアにおける成功体験として、透析との出会い、透析認定看護師をはじめとする資格の取得、周囲の人との繋がりを挙げていただいた。男性看護師の少ない時代からキャリアを築いてきた松木副看護師長。患者と真摯に向き合い、学び続けた歩みを紹介する。

 

私の成功体験は、透析と出会い、20数年間にわたり看護師として携わってきたことです。その過程で、透析看護認定看護師などの資格を取得したり、たくさんの人とネットワークを構築したことは、私にとって大きな財産になっています。

私が看護師になった当時は、男性の看護師は非常に少ない時代でした。看護師を志したきっかけは、中学生のときにケガで入院して、隣のベッドにいた患者さんと仲良くなったことです。20歳くらいの男性で、とても優しいお兄ちゃんという感じでした。その人が精神科の看護師をしていたので「そんな仕事があるんだな」と思ったんです。

高校卒業後の進路選択をする際に、福祉系の大学への進学を考えたのですが、経済状況などを考えると厳しかったです。そんなときに、入院時のことを思い出して、看護の側面から福祉に関わろうと思い、看護師を目指しました。

若手の頃は男性看護師が非常に少なく、働く場所も精神科や手術室などに限られていました。以前勤務していた病院が透析関連だったので、現在の病院に看護師として勤務してからもずっと「透析に携わりたい」と思い続け、入職から約7年が経過してやっと希望が叶いました。

透析室は他の部署と比べると、特徴的なところがあります。透析を始めると、ずっと治療を受け続けなければいけません。なかには、少し気難しい患者さんもいらっしゃいますね。透析室の看護師は、患者さんのいい時も悪い時も、そして最後も看る仕事です。20年以上ずっと同じ患者さんと携わって最後まで見届けるのは、他にはないやりがいがあります。導入から終末期と言いますが、その方の人生、生き様そのものに関わっているように思います。

透析室で看護師として働くようになって、10年くらい経った頃に、今度はキャリアの節目として、透析技術認定士などの資格取得に取り組むようになりました。もしかしたら、透析以外の科に異動になるかもしれないという危機感もあり、透析看護認定看護師の資格に挑戦することにしたんです。これはひとつ、自分の透析に関わってきた区切りとしたかった部分もありました。

透析看護認定看護師の資格が取れる認定看護師の教育センターは、全国でひとつだけです。半年間、現場の仕事から離れ、富山から東京に出て、全国から集まった仲間たちと勉強に励みました。当時41歳だったので、毎日勉強するのは正直きつかったです。しかし、専門知識や技術を学べて、腎不全看護に対して熱い思いを持っている仲間とも強い絆で結ばれました。病院に戻ってからも、お互いに情報を共有したり、新しい情報を得たり、講演をお願いすることなど、とても助けられています。

年齢を重ねると、人と出会って繋がるというのはなかなか難しいですが、資格取得を通してそれができたのは、自分のなかで宝物のようなものですし、すごくありがたいことです。

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