感染症の専門家としてキャリアを積み、大学医局のトップに上りつめた水野院長。専門性の高さが評価され、マスメディアにも数多く出演。輝かしいキャリアを築いてきたが、管理職になったことがきっかけで適応障害になり、苦悩の日々を送る。その後に退職し、2019年にグローバルヘルスケアクリニックを開業。現在は、日本の寄生虫症分野において、トップレベルの症例数を診察している。水野院長が専門性を武器にして、どのようにキャリアを切り開いたのかを紹介する。
キャリアにおける成功は、感染症という専門分野との出会い、目標であった大学医局のトップに上りつめ、専門家として高い評価を得たことだという。水野院長が感染症の専門家として歩んできた道のりを振り返る。
キャリアを振り返ると、専門分野に感染症を選んだこと、大学医局のトップに登り詰めたこと、感染症内科として開業したこと。この3つが成功体験だと感じています。
感染症を専門分野として選んだのは、研修医時代に、ある先生から海外での医療や熱帯病などの感染症の話を聞いたことがきっかけです。中学生の時に初めて海外に行き、外国で仕事をすることに憧れていたので一層その気持ちが強くなりました。その後は、熱帯医学を本格的に学ぶために、大学院への進学を決めました。日本における熱帯病治療薬の研究をリードしている教授に師事し、グローバルヘルスの概要を理解できたことは、現在までのキャリアのスタートとなり、さらに国際保健の経験やタイ留学の機会をいただいたことは私の研究の原点になりましたね。
その後、国立国際医療センターで、渡航外来の立ち上げに携わりました。当時は海外からの輸入感染症を診療する医療機関が少なかったので、渡航医学のパイオニア施設として非常に注目されていたのを覚えています。患者さんが全国から集まり、珍しい感染症を診療する機会も多く得られました。仕事が楽しくて、夜寝るのがもったいないくらいでしたね。この経験を活かしてさらなる飛躍をしたいと大学教授を目指し、論文作成に精を出しました。
その後、大学に異動する機会をいただき、2013年に感染制御部の部長、同年に新設された感染症科の診療科長に就任。大学医局のトップになるという目標を達成しました。
ちょうど翌年には、デング熱の国内発生やエボラウイルス感染症の先進国への波及、韓国での中東呼吸器症候群(MERS)の流行などにより、マスメディアへの出演や新聞・雑誌の取材依頼が多くありました。これらの感染症は非常にマイナーな領域でしたが、日本でも流行することを危惧し、マスメディアを通じて啓発することになります。専門家としてのキャリアを高く評価いただき、感染症のことを啓発する機会を得られて大変光栄でした。このような成果を得られたのは、自分を育ててくれた方々のおかげだと思います。
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