理学療法士として現場経験を積み、大学の教員として研究や教育に従事。44歳の頃に異例の若さで学科長に就任した庄本教授。一貫して「患者さん自身を診て、患者さんのためにサポートすべきだ」という考えのもと、キャリアを築いてきた。「理学療法士の仕事は、患者さんと深く関り、回復をサポートできる仕事。朝から晩までずっと楽しい」と語る庄本教授の姿からは、医療従事者として一番大切なことを学べるだろう。
成功体験として、病院のリハビリテーション科での臨床経験をあげていただいた。さまざまな患者の治療やチームマネジメント経験が、庄本教授のキャリアの基盤となっている。これまでのキャリアについて振り返っていただいた。
正直なところ、あまり成功体験がないんです。医師の父が息子にも医師になって欲しいと思っていたのですが、それが非常に嫌でした。才能もなかったのですが、空手で食べていきたいと思い、卒業後は他の仕事をしながら競技を続けていたんです。しかし、元々才能がないことやケガをしたことで続けられなくなりました。
そんなときに知り合いから教えてもらって、初めて理学療法士という仕事を知ることになります。「3年間で専門学校を卒業できて、病院で先生と呼ばれて仕事ができる」と聞き、その瞬間に理学療法士になろうと決めました。そういった動機なので、入学後も全くやる気がありませんでしたね。しかし、非常に優れた先生に指導いただく機会があり、理学療法士の勉強にのめり込んでいきます。空手をしていて、身体の使い方や治し方に興味があったのも大きかったですね。
卒業後は病院のリハビリテーション科で、さまざまな経験を積みました。患者さんの治療や、管理職としてのチームマネジメントなど苦労しましたね。大変でしたが、いかによりよいチームをつくり、よりよい治療を提供していくのかを真剣に考える機会になりました。また、最善の治療をするためにどのような研究が必要なのかを考え、実践していく場でもありました。臨床の場での経験は、現在の自分のベースとなっていて、知り合った方々には今も力を貸していただいています。こういった経験を積めたことが、一番の成功体験かなと思いますね。
大学での研究や教育に携わろうと思ったのは、研究を通してもっとたくさんの人によい影響を与えたい。教育した人材を通して、より多くの患者さんによい治療を提供したい。そういった思いからです。理学療法士として、目の前の患者さんをサポートしたり、スタッフを教育したりすることは重要な仕事だったのですが、それ以上に大学での研究や教育が大切だと考えました。
当時は理学療法士という分野が確立される過渡期だったので、研究や教育が業界に足りないと感じていたんです。そういった考えに至ったきっかけは、非常に優秀な日本でもトップレベルの先生方との出会いです。医師のレベルの高さと私たちの差を痛感して、今のままではいけないと思いました。
大学に移ってからも、順風満帆とはいきませんでした。最初は、身体に電気を流して痛みを和らげる物理療法の研究に没頭していました。しかし、4年経過したタイミングで教員がたくさん辞めてしまって、44歳くらいで学科長になりました。学科の責任者のような役職で、マネジメントの比重が多いため、研究はあまりできていません。その代わり、大学院生に引き継いで研究してもらっています。
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