福島県立医科大学を卒業後、麻酔科や救急に携わり、山形大学医学部の救急医学講座の立ち上げに参加。現在は、山形大学医学部副医学部長として、教育・研究・臨床に携わっている。川前副医学部長のキャリアからは、大変なことでも飛び込んで課題を解決していくことの大切さを感じさせられる。
会津中央病院救命センター故牧野俊郎部長と川前麻酔科部長のICU回診
キャリアにおいての成功体験として、山形大学医学部の救急医学講座の立ち上げに参加するために福島大学から移られたときのエピソードを伺った。救急医療は病院全体を把握する必要があるため、当初は苦難の連続だったという。川前副医学部長の道のりは、若者がキャリアパスを考えるうえで、大いに参考となるだろう。
キャリアにおいての成功体験は、救急医学講座に携わるために山形大学に移ったことです。当時の私は、福島県立医科大学の麻酔科でICU及び救急を担当した後、新たにできた救急科に出向しました。そんなときに当時の救急科長の先生が「山形大学で救急医学講座をつくるので、人を募集しているよ」と教えてくれたんです。
まだ若くて血気盛んだったので「福島の救急医療を日本一、世界一にするぞ」という意気込みがありましたが、せっかくすすめてもらったので挑戦することにしました。しかし、いざ異動してみて最初の5~6年間ははっきり言って地獄でしたね。
救急医療は「どの患者さんをどの科に運ぶか」といった判断を、スピーディーにしなければいけません。どの科にどんな先生がいるのか、どんな過程で退院するかといった病院の全体像をつかんでいないと対応が難しいのです。福島医大のときは、麻酔科での仕事を通して他の科の先生方や患者さんについてよく知っていました。それが突然、山形大学に1人で行って講座の立ち上げをしたので大変でした。
さらに当時の山形大学には、各科で救急医療を担当していて、全体をカバーする救急という考え方は全くありませんでした。意識改革から始める必要があったので、各診療科・各講座に必ず1回以上顔を出すといったことを3ヶ月くらい続けました。さらに救急科には3人しか人員がいないうえに、学生や研修医もいる状態だったので、人がいないなか教育もしなければいけない。業務的に非常にハードでしたが、なかなかできない経験ができたと思っています。
もう一つの成功体験は、2年間で救急科と麻酔科の両方を担当したことです。通常は教授職を兼務することはありませんから、体力的にはとても厳しかった。しかし、麻酔も救急も嫌いじゃないので、自分ではあまりストレスに気がつかず、むしろ楽しく仕事をしていました。「未知のことがあったら飛び込んでみる」性格なので、自分に合った選択だったと思います。厳しい環境でやりぬいたからこそ、今はゆとりを持って仕事ができていますね。
コンテンツは会員限定です。
続きをご覧になるには以下よりログインするか、会員登録をしてください。