地域医療に尽力する親の背中を見て育ち、同じ道を志し医師になった入澤主任教授。医師になって7年目に発表した英語論文がきっかけで、アメリカに留学。日本における超音波内視鏡下穿刺術(Interventional EUS)のさきがけの1人となった。
座右の銘である「叩けよさらば開かれん」の言葉通り、自らキャリアを切り開いてきた入澤主任教授の歩みは、若い医師にとって大きな学びとなるはずだ。
(2007年 キューバ国におけるEUS-FNAのライブデモンストレーション)
成功体験として、英語論文の発表をきっかけにアメリカに留学し、超音波内視鏡下穿刺術(Interventional EUS)を学んだ。帰国後は日本の超音波内視鏡分野のトップランナーの1人となった入澤主任教授のキャリアを振り返る。
キャリアにおける最大の成功体験は、偶然の出会いから、日本の超音波内視鏡分野におけるトップランナーの仲間入りができたことです。留学前から消化器内視鏡を専門としていましたが、留学をきっかけに、超音波内視鏡下穿刺術(Interventional EUS)という武器が増えました。偶然の出会いから、日本ではまだまだこれからの分野の波に乗れたのが良かったですね。
医師を目指したきっかけは、親が医師だったことが大きく影響しています。子どもの頃から地域医療に携わる親の背中を見ていて、子供の頃から漠然と将来は医師になるのだろうと思っていました。大学で考古学を勉強したいという気持ちもありましたが、考古学研究者として生計を立てるイメージがつかず、医学の道を選びました。
獨協医科大学を卒業後、地元・福島県に戻り、福島県立医科大学で内科学第二講座の研修医になりました。母校ではなくて福島県立医科大学の医局に進んだのは、将来的に福島県で地域医療に携わるにあたって、人脈を広げていくことが大切だと考えたからです。私の父と叔父達が病院を経営していましたので、当時は最終的にはその病院で、地域の患者さんに対して適切な医療を提供し、地域医療に貢献することが目標でした。その時は、大学に残って研究を続けることや、まして教授になる道は全く考えていなかったですね。
大きな転機となったきっかけは、医師になって初めて書いた英語論文です。その論文の内容を1998年の米国DDWに提出したところ、演題が認められポスター発表の機会をもらいました。すると、私の発表を聴いたアメリカの大学教授が「君は面白い研究をしているから、良かったらアメリカで一緒に超音波内視鏡に関連した研究をしないか?」と誘ってくれたのです。超音波内視鏡とは超音波装置を備えた内視鏡で、消化管の中から膵臓や胆管、胆嚢などさまざまな組織の様子を観察できます。また、超音波内視鏡で膵臓などを観察しながら、胃や十二指腸を介して病変部に針を刺して生検などもできます。
当時、父たちが経営する病院に入る話が出ていたのですが、研究が面白くなってきたタイミングだったので断り、フロリダ大学SHANDS Hospital 超音波内視鏡センターへの留学を決めました。
アメリカでは、Interventional EUS(超音波内視鏡下穿刺術)を学ながら、超音波内視鏡による慢性膵炎診断に関する研究に従事しました。Interventional EUSのうち,EUS-FNA(超音波内視鏡下穿刺生検)は、超音波内視鏡を用いて、胃や十二指腸から膵臓などの組織に針を刺し、細胞を採取して腫瘍の病理診断をつける技術です。当時の日本でこれらの手法を導入しているのは、数施設しかありませんでした。
帰国と同時期に、慢性膵炎の超音波内視鏡による診断が厚生労働省の難治性膵疾患班会議で取り上げられるなどタイミングにも恵まれ、先輩や同じ志を持つ仲間たちと一緒に超音波内視鏡による診断・治療の最前線で仕事をしてきました。また、国内のみならず海外でもInterventional EUSのライブデモンストレーションを行う機会を得て、様々な国を訪れ指導してきました。20年以上経過した今では、超音波内視鏡による慢性膵炎診断や、膵腫瘍に対するEUS-FNAは日本全国でスタンダードになっています。
超音波内視鏡そしてEUS-FNAの普及により、画像だけでは診断が難しい腫瘍の病理学的診断が安全かつ確実につけられるようになりましたし、このことは膵臓がんの早期発見にも大きく貢献しています。また、この技術は膵癌の診断だけではなく、様々な消化器病の治療にも応用され、その技術は急速に進歩しています。
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