医ノ匠

  1. 医ノ匠 HOME
  2. インタビュー
  3. 平成医療福祉グループ/医療法人平成博愛会 博愛記念病院 代表/理事長 武久 洋三
助けられる患者さんは、できるだけ助けたい
助けられる患者さんは、できるだけ助けたい

助けられる患者さんは、できるだけ助けたい

平成医療福祉グループ/医療法人平成博愛会 博愛記念病院 代表/理事長武久 洋三

平成医療福祉グループ/医療法人平成博愛会 博愛記念病院
代表/理事長
武久 洋三

37年前に42歳で、徳島県に慢性期の患者を対象とした60床の病院を立ち上げた武久代表。「日本一の慢性期病院をつくる」という志のもと、数々の病院や介護施設の運営に携わり、良質な医療を提供することで、患者が日常生活を送れるようサポートしてきた。代表を務める平成医療福祉グループは、病院や介護施設を合計100ほど運営。多くの人の健康を支えている。武久代表の熱い思いは、もうすぐ80歳を迎える今も変わらない。患者のために全力を尽くし続ける姿勢は、医療に携わる若者に、大切なことを伝えてくれる。


武久代表が病院を設立した40年近く前は、リハビリなど患者を日常生活に復帰させるための慢性期医療が不充分だった。武久代表は、そういった状況に切り込み「助けられる患者さんは、できるだけ助けたい」と努力を積み重ねていく。日本における慢性期医療のパイオニアとしての歩みをご紹介する。

 

病院を設立したのは「日本の医療を変えたい」「できるだけ多くの患者さんを助けたい」という思いがあったから、個人開業ではどうしてもできることに限りがあります。慢性期医療にターゲットを絞ったのは、徳島県は医療がさかんな地域で急性期病院はすでにたくさんあるものの、病状が安定した患者をフォローして元の生活に戻れるようなリハビリができる慢性期病院がなかったためです。

40年近く前は、リハビリがまだ普及しておらず、理学療法士や作業療法士の数も少なかったのです。そこで、リハビリテーション医学会に入会して勉強し、資格も取得しました。設立以来「日本一の慢性期病院をつくる」という思いでやってきました。

当時は高齢者の割合も少なく、家族など見守ってくれる人も多い時代でしたが、やはり高齢者は病気にかかりやすく、回復もしにくい。患者に占める高齢者の割合が高かったので、なんとか日常生活に戻すために努力を重ねてきました。

病院の設立当時は、一般にはずっと病院に入院させていて命を維持するといった病院が多数派でした。ですが私たちは、必要な人に必要な治療をできるだけして、患者さんをどんどん治す。患者さんが退院して空いたベッドに、治療を必要とする患者さんを受入れるという、循環型の医療をしてきました。

当時も今も「助けられる患者さんは、できるだけ助けたい」という思いは変わらないです。高齢者だから回復しないと考えたり、経済的な効率を考えたりして、妥協するような治療は一切したくないですね。

急性期の病院で「もう治らない」と言われていた患者さんを一生懸命に治療して、またゲートボールができるくらいに回復した姿を見るのは、無上の喜びですね。

コンテンツは会員限定です。
続きをご覧になるには以下よりログインするか、会員登録をしてください。