ホスピタリスト(病院総合医)として働きながら、医学と経営学、2つの大学院を修了。2020年4月より「いきるを支える」をコンセプトとした愛媛県のHITO病院にご夫婦で赴任。「一歩前へ、迷ったらやってみる」という座右の銘の通り、さまざまな挑戦をしてきた五十野先生に話を伺った。
医師になってからの12年間について、「ひたすら足りないものを身につける日々だった」と語る。常にインプットを重ねてきた五十野先生の歩みとは。
臨床では、年表のとおり卒後10年目までずっと新たな研修を繰り返す感覚でしたね。その中で「自分は、今まで経験がないことや対応できなかったことに対処できたときの、心の中での“ガッツポーズ!”、その瞬間のために医師をやっているんだ」と気がつきました。先に向上心があり、それが結果的に誰かの役に立った、ということです。
特にその後のキャリアに影響したのが、水戸協同病院での経験でした。入院診療の中心を総合診療科が担う体制で、研修医が診療科の区別なく、全ての病気を同時進行で学ぶことができます。卒後3年目には昼夜、土日を問わず働きました。いっとき燃え尽きて、自分の外来担当の日に寝坊したことも。起きたときに「やばい!」ではなく、「ま、いっか」と二度寝したのを覚えています。膨大な症例数を研修医が主体的に経験できる一方で、過酷な当時のやり方では持続可能性がないことを漠然と感じながら水戸協同病院での半年を終えました。
大学や三次救急病院の研修を経て、1年半後に同院に戻るときには、研修医が働きやすく、学びやすい環境を作ろうと、マネジメント役(チーフレジデント)の創設を志願しました。1年間ゼロベースで試行錯誤を続け、理念、チーム作り、カンファレンス運営、指導医と研修医の仲立ちなど、基礎を形作ったチーフレジデント制度は、今も脈々と受け継がれていると聞いています。
この時期に業務改善にも興味を持って、筑波大学でTEAMSという業務改善プログラムの開発に参加し、共著にまとめています。その後の大学院博士課程では、TEAMSを用いた業務改善をテーマに2つの臨床研究を行いました。
(共著https://www.yodosha.co.jp/gnote/book/9784758117920/index.html?st=1)
(論文https://bmjopenquality.bmj.com/content/6/2/e000106)
4年間の大学院を修了したとき、当然の達成感とともに私が感じたのは、空虚感でした。ひとつひとつの現場における問題を改善したはいいが、それは局地戦の戦術でインパクトが弱い。そもそも、私は人生で何を成し遂げたいのだろう。病院全体を良くするというのは、まず経営者の目指すべき方向、ビジョンなのではないか。そう思って上を見上げたとき、このまま年功序列で昇進することには、ちっともワクワクできなかったのです。
通常の医師のキャリアパスには病院経営を学ぶ機会が無いし、ビジョンを示せるリーダーが少ない。そこで、経営ポジションの理論(共通言語)を身に付けておきたいと考えました。
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