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人から望まれることを大事にして欲しい
人から望まれることを大事にして欲しい

人から望まれることを大事にして欲しい

東京医科歯科大学大学院 歯学部長・教授依田 哲也

東京医科歯科大学大学院
歯学部長・教授
依田 哲也

東京医科歯科大学・歯学部に在学中、顎関節疾患を専門とする道を選び、日本の顎関節疾患研究をリードしてきた依田教授。「人から望まれることを大事にして欲しい」という言葉通り、周囲の期待に応えることで、キャリアを切り開いてきた。依田教授の歩みからは、自己研鑽をしたうえで、目の前に来たチャンスを掴む大切さを感じさせられる。


キャリアの成功体験として、顎関節症の臨床と研究に携われたことを挙げていただいた。成功の理由は、周囲の人に恵まれたことだと語る依田教授。そのキャリアを振り返る。

 

キャリアの一番の成功体験は、学生時代から興味があった顎関節症をはじめとする顎関節疾患の臨床と研究に携わり続けられたことです。

顎関節症に興味を持ったきっかけは、大学6年生の時に読んだ歯の噛み合わせに関する本です。噛み合わせが全身の健康に及ぼす影響について書いた本を何冊か読み、面白いなと感じました。歯列矯正にも興味があったのですが、顎関節疾患を専門にする決意をしました。

しかし、母校には顎関節を専門とする科がありませんでした。そこで、顎関節研究の伝統がある第一口腔外科に進む、入れ歯などを取り扱う関係で顎関節症を研究している補綴(ほてつ)科に進む、地元である長野の大学の医学部・歯科口腔外科に進むという、3つの道を考えていました。

悩んでいる時に、第二口腔外科の教授が親身に相談に乗ってくださったのがきっかけで、第二口腔外科へ進むことを決めました。第二口腔外科は顎関節の診療をしているものの、研究は全くしておらず「自由に研究していい」と言われたのです。指導教員がいないため最初の2年は専攻生として大学院に入り、基礎を身につけてから大学院に入学したので、同級生からは2年遅れです。よく考えると、指導教員のいない教室に進むのも不思議な話です。しかし、キャリアを振り返るとそれがプラスになっています。

大学院に入学するまでの間、診察に来る患者さんを全て自分でマネジメントできる環境を整えてもらい、自由に研究できました。大学院に進学後も、本当に自分で考えて好きなように研究させてもらえたと感じています。山のサルの群れを捕獲している業者を訪ねて購入したり、世界各国の研究者の論文を読んだり、様々な経験ができました。自分でやらざるを得ない状況だったからこそ、得るものも大きかったです。

また、医学・歯学に限らず、様々な大学の顎関節を研究する先生のところに飛び込んで教えてもらったり、多くの講習会に参加したりするなど幅広く学べました。第二口腔外科の教授が「責任を取るから自由にやってくれ」と仰ってくれたおかげです。顎関節手術の権威だった埼玉医科大学の教授のもとに、週1回勉強に行けるよう話をつけてくれたのも、その方でした。

また、指導教員がいないため、1人で顎関節学会に参加したことで、様々な大学の先生と親しくなり、横の繋がりができたのも大きかったです。特に海外の学会に参加した時は、日本の参加者が少なかったこともあり、目をかけてもらう機会が多かったですね。後に、学会で知り合ったドイツの大学教授のもとに留学するなど、人との繋がりが大きな財産となりました。

その後のキャリアでも、周りの人たちとの縁がプラスに働いています。東京大学の講師を1年ほど勤めた後、大学院生時代にお世話になった埼玉医科大学から声がかかり、教授として15年間勤務しました。そして、定年まで勤めるつもりだったのが、たまたまポストが空いたことで母校に戻り、かつての第一口腔外科である顎顔面外科学の教授になりました。顎関節疾患に携わりたいという一貫した思いはありますが、流れに任せているうちに、好きな仕事をずっと続けられています。周りの人たちに恵まれたおかげなので、今でも感謝していますね。

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