医ノ匠

  1. 医ノ匠 HOME
  2. インタビュー
  3. 金沢大学 核医学診療科 教授 絹谷 清剛
人生成り行き任せ、なせば成る
人生成り行き任せ、なせば成る

人生成り行き任せ、なせば成る

金沢大学 核医学診療科 教授絹谷 清剛

金沢大学 核医学診療科
教授
絹谷 清剛

絹谷教授の座右の銘は「人生成り行き任せ、なせば成る」。その言葉通り流れに乗って、目の前の課題に取り組んでいくうちに、キャリアが自分にフィットしていると感じるようになったという。核医学との偶然の出会いや教授選などのキャリアの転機や研究の重要性などについて語っていただいた。


キャリア選択における成功体験について伺ったところ「成り行きというところが大きい」という答えをいただいた。そのときどきの選択を、成功に変えていく努力が絹谷教授のキャリアをつくっていったといえる。若者のキャリア選択において、非常に参考となるエピソードをお話いただいた。

 

僕のキャリアを振り返ると、成り行きで今に至るという部分がありますね。実家の家業はものづくりだったんですけど、父は医者になりたいけれども家を継がなければいけないという状況でした。そのため、家は兄に継がせて、次男の僕には医者になって欲しいと考え、母を通して父がプッシュしてきた感じです。ものいじりが好きだったため、機械系に進むつもりでしたが、医学部へ進学しました。すると細かいことが好きな性格なので、医学部でも自分がやりたい細かい手術などができると感じはじめたのです。4年生くらいになると、医学部に行ってよかったと思えるようになりました。

核医学の道に進んだのも同じです。不真面目な学生なので核医学の講義に出たことがなく、卒業後は眼科か脳外科のマイクロサージェリーの医局に行こうと考えていました。しかし、大学のラグビー部の先輩から「ちょっと話を聞きに来い」と言われて、夏休みに医局に遊びに行っちゃいました。教授が待っておられて、1時間くらい1対1で講義を受けることになったんです。帰りたい一心で「医局に入るので、お願いします」と言ってしまいました。とはいえ、やはり現在で言うところの分子イメージングや分子標的治療に関わる医学に少し惹かれた面はありましたね。その後、腫瘍のグループでの動物実験などを始め、何らかの結果が出て、次のことを考えながら進めていくという繰り返しでした。大学院を終えて、2年間アメリカに留学した後は、独り立ちしていたんです。流れに乗っているうちに、自分にフィットすると感じられるようになりましたね。

もし、眼科や脳外科のマイクロサージェリーといった分野に進んでいたら、一般的な臨床医になっていたと思います。核医学は臨床の診療科ではありますが、半分は研究といった仕事です。普通の臨床とは少し毛色が違います。動物実験中に開腹するのですが、たまに操作を誤ると、大量出血して死んでしまうことがあります。患者さんに対する手術だと考えると、恐ろしいなと。手塚治虫の『ブラックジャック』という漫画で、主人公のブラックジャックの師匠である本間先生が「命を左右するような仕事をするのは人間だけだ」というような意味のセリフを言っていました。臨床がメインの仕事をしていたら、本間先生の言葉を胸に取り組んでいたと思いますね。

コンテンツは会員限定です。
続きをご覧になるには以下よりログインするか、会員登録をしてください。