東邦大学医学部を卒業後、実家のある北海道に戻り、北海道大学の医局に入局。旭川や苫小牧など道内各地の病院で経験を積み、産婦人科専門医とのキャリアを磨いた高後理事長。父親の後を継ぎ、現在は札幌マタニティ・ ウイメンズホスピタルの理事長として活躍している。札幌マタニティ・ ウイメンズホスピタルは、北海道で最多の分娩数を誇る産婦人科であり、道内の出産を支える重要な拠点だ。「産婦人科は生命の原点。出産の瞬間に立ち会えるのはとても幸せなこと」と語る高後理事長に、これまでのキャリアや産婦人科医の現状、若者へのメッセージを伺った。
北海道出身の高後理事長は、中高大と青春時代を首都圏で過ごした。そして東邦大学医学部卒業時に、大きな岐路に立った。東京の医局に行くか、北海道の医局に行くか――。「キャリアのターニングポイントになった」と自ら語る、その決断とは。
キャリアの成功体験というところでは、単一の成功体験というのは実は思い出せないんです。ひとつひとつの経験が、周りからの信頼やトラブル回避、ひいては患者さんにとっての最高の結末につながっていくと考えています。ただ、キャリアを振り返ってみて、ターニングポイントになったのは、北海道に戻って医局に入ったこと。後から考えると、良い判断だったなと思います。
僕、実家は北海道なんですが、中学高校も首都圏だし大学も東京だったので、東京に残りたいという気持ちもあったんです。北海道には友達も少なかったですし。ゆくゆくは父の産婦人科を継ぐのかなとは思ってはいたのですが、東京で仕事をしてキャリアを積んでから北海道へ帰るのもありだと思っていました。でも、どうせ最終的には北海道で仕事をするなら、やっぱりスパッと卒業してから帰る方がいいと思って決断しました。
北海道にすぐ戻ってきて良かったのは、何もできない状態から先生たちに色々教えてもらったので、初歩的な恥ずかしいような質問も、全部聞けたことです。何年か東京で経験を積んでからだと、少しできる仕事がある分、かえって質問とかはしにくかったと思います。ゼロから始めて、一年単位で道内の病院を回って、さまざまな経験を積んで学べた。札幌でスタートを切れてよかったと思います。
父の産婦人科を継ぐことも、医者になった時はまだはっきりとは決めていませんでした。でもその後、札幌に、北海道にいるうちに、だんだんとその気持ちが固まってきたんです。
北海道で医師としてスタートしたのが、病院の分娩数を北海道で最多まで伸ばせたことも含め、僕の産婦人科医としてのキャリアに大きな影響を与えていると思います。
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